別居したいと思ったら。私の別居体験談

シェアする




同居中に即離婚よりも、ワンクッションはさんで、別居する人も多いと思います。

でも。すごく大きい決断で、別居する前にずいぶんと悩む人もいると思います。

現実的に生活を変える。

仕事のこと、子どもの学校のこと。

考え始めると踏み切れない。

スポンサーリンク








別居する前、私の場合

別居とは、文字通り、別れて住むことです。

一般的には同居、一緒に住むのが当たり前と言われている関係、家族などが別れて住むこと。

今だと離婚に踏み切る前段階に別居する人が多いんじゃないかと思います。

私も離婚前に別居を経験しました。

先に離婚を切り出しました。

だけど、元夫が離婚を承諾しませんでした。

でも、私が一緒の空間にいるのが全然だめになってしまって。

そうなると、別居しかないですよね。

別居もすぐにしたかったんです。

だから、離婚を承諾しなかった時点で、すぐに切り出しました。

元夫はこれも承諾しない。

承諾しないままに子ども連れて飛び出すこともできたんですが、後々の調停や裁判で不利になると方々から言われました。

私、別居や離婚は初めてだから、経験者の方の言うことにとりあえず従ってみました。

だけど、私はこれが苦しくなってしまいました。

もう一緒にいられない相手と同じ家の中にいる。

それまで、元夫の食事や弁当も作っていましたが、作れなくなりました。

子どもたちのために作った夕食を元夫が食べるのが耐えられなくなりました。

やめてくださいと頼みました。

元夫は急に弁当を作らなくなった私に何も言わず、自分で弁当を作って持って行っていました。

家族全員、同じ部屋で寝ていましたが、それもできなくなりました。

子どもたちと別の部屋で寝るようになりました。

元夫が家にいる時間帯にお風呂に入ることもできなくなりました。

一つ屋根の下で無防備に裸でいられないんです。

元夫には離婚と別居を何度もお願いしました。

お願いって表現もないんですが、お願いしました。

だけど、元夫は変わらず、承諾しませんでした。

だからと言って元夫は歩み寄ることはせず、別居したいなんて親としておかしいんじゃないかと批判的なことを私は言われていました。

傷ついていたけど、自覚できないくらいの精神状態でした。

あの頃、どうやって仕事に行っていたか、育児していたか、思い出せない。

記憶がほぼないんです。

別居が決まる

自宅で常に戦闘モードって感じでした。

いつも気を張っていました。

緊張感いっぱいの私。

気がついたら、家にいる間は涙がとまらなくなっていました。

何があるわけじゃない、何もないのに、ただ涙が出る。

朝も夜も、ずっと泣いていました。

毎日、毎日。

泣いても泣いても涙がとまりませんでした。

別居を切り出して半年がたっていました。

さすがに私もだいぶ参ってきた自覚が出ていました。

いつのまにか、頭の中に死がありました。

子どもたちのために料理しよう包丁を出すと、ふいに自分を刺してしまいたくなる。

毎日、死のうとする自分を必死で止めていました。

自然に、死に気持ちが向かっていきます。

あいかわらず涙も止まらず、泣きながら家にいました。

不思議なことに家を一歩出ると涙は止まるのです。

帰るとまた出てくる。

ある日、ふいに限界がきました。

このままいくと、本当に死んでしまう。

私が死なないなら、元夫を殺してしまう。

どちらにしても、子どもたちには最悪の結果です。

これが最後と思って、元夫に言いました。

これでだめなら、私は今、死ぬでしょう。

他人事のように思いながら、言いました。

「別居したい」

あんなに反対していた夫が、その日はなぜか「いい」と言ったんです。

別居が決まりました。

長すぎました。

今なら、夫の承諾なしで家を飛び出してた。

スポンサーリンク















シェアする

フォローする